とらや
現在は建て替え中の
虎屋本店(赤坂)
「とらやさん」と地域の人からも親しまれてるお店が、2020年の東京オリンピックには新しい顔で日本はもとより海外からのお客様をたくさん迎えるようになるでしょう。
はたして今回はどのような装いになるのか
楽しみですね。
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十七代 黒川光博より 赤坂本店をご愛顧くださったみなさまへ
赤坂本店、および虎屋菓寮 赤坂本店は、10月7日をもって休業いたします。
室町時代後期に京都で創業し、御所御用を勤めてきた虎屋は、明 治2年(1869)、東京という全く新しい土地で仕事を始める決断をしました。赤坂の地に初めて店を構えたのは明治12年(1879)。明治28年 (1895)には現在東京工場がある地に移り、製造所と店舗を設けました。
昭和7年(1932)に青山通りで新築した店舗は城郭を 思わせるデザインでしたが、昭和39年(1964)、東京オリンピック開催に伴う道路拡張工事のため、斜向かいにあたる現在地へ移転いたしました。「行灯 (あんどん)」をビルのモチーフとし、それを灯すように建物全体をライトアップしていた時期もありました。周囲にはまだ高いビルが少なかった時代で、当時 大学生だった私は、赤坂の地にぽっと現れた大きな灯りに心をはずませたことを思い出します。
この店でお客様をお迎えした51年のあいだ、多くの素晴らしい出逢いに恵まれました。
三日にあげずご来店くださり、きまってお汁粉を召し上がる男性のお客様。
毎朝お母さまとご一緒に小形羊羹を1つお買い求めくださっていた、当時幼稚園生でいらしたお客様。ある時おひとりでお見えになったので、心配になった店員が外へ出てみると、お母さまがこっそり隠れて見守っていらっしゃったということもありました。
車椅子でご来店くださっていた、100歳になられる女性のお客様。入院生活に入られてからはご家族が生菓子や干菓子をお買い求めくださいました。お食事ができなくなられてからも、弊社の干菓子をくずしながらお召し上がりになったと伺っています。
このようにお客様とともに過ごさせて頂いた時間をここに書き尽くすことは到底できませんが、おひとりおひとりのお姿は、強く私たちの心に焼き付いています。
3年後にできる新しいビルは、ゆっくりお過ごしになる方、お急ぎの方、外国の方などあらゆるお客様にとって、さらにお使い頂きやすいものとなるよう考えています。
新たな店でもたくさんの方々との出逢いを楽しみにしつつ、これまでのご愛顧に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
虎屋17代
代表取締役社長 黒川光博
プラチナ通り
港区白金台
目黒通りと外苑西通り(通称:プラチナ通り)の交差点
さすがプラチナ通り
ドン・キホーテをプラチナにしてしまうとは😳
※そもそも地名の「白金(しろかね)」とは
『応永年間にこの地を開いた「柳下上総介(やぎしたかずさのすけ)」氏が、大量の銀(読みはシロカネ)を所有していたことから、「銀長者→白金長者」と呼ばれ、“白金”がそのまま地名になったとされています。
銀の読みと同様に町名も、しろかねと濁らないのが正式のようです。『小田原衆所領役帳』では“白銀”と記されていましたが、読みはやはり“しろかね”だったそうです。』 港区HPより抜粋
つまり、「銀(しろかね)⇒白金(しろかね)」となったというのだ
ということは、プラチナ通りという呼び名は更に転じて
「銀(しろかね)⇒白金(しろかね)⇒白金(はっきん)=プラチナ」となったのだろうか?
marvel展フィギュア(六本木ヒルズ)
marvel展の一部
フィギュアたち
アイアンマンの種類はこんなにあるんですね😆
圧巻だったのはやっぱり、実物大のハルクvsハルクバスターですね〜
かわいい?こわい?タクシー
東京都内を走るタクシーでこんな情報が(写真)
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光るピヨこ
かなり自由な車内😳
東京四社(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/東京四社営業委員会)のタクシーではありえない。
たぶん、個人タクシーではないでしょうか
ただ、可愛いのか怖いのかわからない😆