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第3章:男性は女性を愛し得るか

第3章 男性は女性を愛し得るか

 

〈短期間の間に盲目的状態で、生涯の伴侶を選ぶ恋愛〉

  結婚式の披露宴でよく語られる言葉の中に、「結婚前は両目を開けて相手を見、結婚してからは片目をつぶって相手を見なさい」というものがあります。

 恋のとりこになっている時は、相手のすべてが素晴らしく見えるが、結婚してみると、それまで気が付かなかった短所が見えてきて耐えられなくなることが多いからという経験に基づく忠告です。

 ともあれ、私たちはおそよ人生の三分の二を自分の判断によって選んだ異性と共に過ごさなければなりません。しかもその異性は、自分の人生ばかりか子孫の人生にも決定的な影響を与えるわけですから、事は重大です。

 世界一の果報者になるか、一生の不作と身の不運を嘆くか、そのどちらかになるかを決めるのが、わずか数ヶ月から数年の間の、自分の主観という限られた条件の中からであり、ともすれば、あばたもえくぼといった盲目的状態の中で決定されるのです。

 冷静に考えてみると、これは実に恐ろしいことで、生涯の伴侶を選ぶという重大な決定を自分で下せるほど、私たちは異性を知っているでしょうか。気心の知れた親友ですら数人もいないのに、生い立ちや性格、趣味、価値観まで深く知っているという異性が一体何人いるでしょうか。そのほとんど皆無の中から、自分の好みを唯一の判断材料にして一人を選ぶのですから、まさに宝くじのようなもの。

 最近、インターネットを介して自分にふさわしい相手を探そうという動きがあり、しかもそれがビジネスとして成り立つようになってきています。出会いのチャンスが意外と少ない青年男女にとって、お見合いは合理的なシステムとして見直され、地方自治体主催の合コンさえある時代です。

 離婚率が高くなり、離婚している人が身近にいるこの頃、「恋愛こそすべて」と言う人はさすがに少なくなっているようです。日本人もそれだけ大人になったのか、それとも醒めてきて愛を信じなくなったのか。いずれにせよ純愛を主題とした小説は、はやらなくなってしまいました。

 

 〈結婚の動機は、男性と女性では根本的に違っている〉

  結婚の動機を挙げてみると、「一緒に何かをやりたい」、「一人では淋しい」、「結婚していたほうが社会的信用があるから」、「適齢期もきたし世間体もあるから」、「自分を信じてくれるやさしい女性が欲しい」、「暖かい家庭を作りたい」、「食事や身の回りの世話をしてくれる女性が欲しい」、「子供が欲しい」、「自由にセックスができる」等と、実に様々なものがあります。

 しかも、結婚の動機の根底に、男性の場合は性欲を中心にした願望があり、女性の場合は、愛情と子供への願望があるという大きな違いがあり、このことが分かっていないために生じている悲劇も相当なものです。

 私自身、結婚については、やさしい女性や暖かい家庭というイメージがありましたが、

それ以上に、セックスへの期待のほうが大きく、週刊誌や映画で表現されている、素晴らしい快楽の世界を早く体験してみたい、セックスを体験して早く大人になりたい、女性であれば誰でもいいという思いが強かったことも事実です。

 若い男性の場合、頭の中はセックスのことで一杯ですから、女性も同じようにセックスを願っているに違いないと思い込んでいます。そして、少しでも相手の女性が自分に好意を持っていると思えると、なんとかチャンスを作って自分の欲望を満たしたいと、そのための演出プランを考えます。

 これは男性にとってはごく当然のことですが、女性にとってはかなりショックなことで

あり、男性もまた結婚してみて女性の愛情願望を知って驚くといったことが実際に多いのです。

 性的欲求や愛情欲求を持つのはごく自然のことですが、結婚をより意義あるもの、人間らしいものに高めるために、共通の価値観や目的を持って、その目的を達成するために結婚するというふうになりたいものです。

 男性が女性に求めるもう一つのものは美しさです。若い時は私も美しい女性、かわいい女性に単純にあこがれていました。しかし、自分が年を取っていくにつれて、女性への願望が大きく変わっていくのに、自分でも驚きました。結婚後の人生は、私が考えるほど単純なものではないということが後で分かったのです。

 「生活」という言葉は、ヌカミソ臭いもののように思われ、若い女性から嫌われるかも知れません。しかし「生活」こそ二人の愛を現実的でしかも堅固なものにするための重要な場所です。「美しさ」はそうした生活の中で本物であるかどうかが試されます。

 結婚生活では姿かたちの美しさよりは、丈夫な赤ん坊を生むことのできる「健康」と、子供に正しい教育を施すことのできる「賢さ」、家計をやりくりできる「経済力」、安い材料でおいしく栄養ある食事を作れる「料理の腕前」、そして根底に、夫や子供と楽しい家庭を築いていくための「思いやり」と「忍耐」が必要とされます。これらの条件が満たされた人こそ、「美しい人」「かわいい人」と言えるのではないでしょうか。

 

〈利己的欲望で相手を私物化し、それを愛と呼ぶ男の嘘〉

  よく「恋愛と結婚は別」という言葉が使われますが、五十歳、六十歳の年配者が若い男女に悔恨の情を込めて教訓として語るのなら別ですが、当事者である若い男女が初めからそう思っているとしたら、それは相手を遊びの道具としか見ていないことであり、結局一人の異性を犠牲にする偽りの愛、つまりエゴイズムの発露でしかないということです。
 「形式としての結婚にこだわるのはかえって不純。二人を支えているのは純粋な愛情です」

 これもまた典型的な、同棲を正当化するためのセリフですが、不見識な男性なら誰もが暗黙のうちに了解する歯の浮くようなダマシのセリフなのです。

 そもそも本当に相手の女性を愛しているのでしたら、結婚して家庭を築き、愛の結晶としての二人の子供を作ろうとする強い意志が先行しているのが自然です。古くさいと言われるかもしれませんが、相手の両親にも、また自分の両親にも周囲の関係者全部に報告してできるだけ多くの人々から祝福されたいと願うものであり、それが真実に愛する者の義務でもあります。

 女性にとっては愛も結婚も、人生の重大事件ですが、男性にとっては仕事があり、社会があり、愛や結婚はそれらの無数の対象の中の”ワン、オブ、ゼム”と考える傾向が強いわけです。

 今日の、性的に頽廃した文化の洗礼を受けている男性が、本質的に女性を愛し得るかというと、これははなはだ疑問ではないでしょうか。社会の風潮を見るかぎり、すべての男性は本質故に好色であり、愛情よりも女性の肉体にしか興味を持っていないのではないかとも思えるほどの現状です。

 もし仮に「愛している」は「君の肉体に興味をもっている」であり、「結婚する」ことは「ただでセックスできるようになる」ことを意味するとしたら、こういう若い男女によってつくられる社会には未来はありません。

 よこしまな男性にとっての恋愛感構は、征服欲の建長線上にあると考えた方が理解しやすく、素晴らしい女性を征服するプロセスを楽しむことが目当てのようです。そうした男性にとって女性を征服するとは、その肉体を自分の思い通りにするということを意味しており、本当の愛とは正反対なものなのです。つまり「彼女は僕のものだ」と語れるようになることが目当てで、利己的な欲望のもとに相手を私物化する蛮行を「愛」と呼んでごまかしているにすぎません。その証拠に、いったん性的な関係を持ってしまうと、男性は急激に相手への精熟を失っていくというケースがほとんどで、やがては嫌悪感さえ持ち、その女性から離れていくのが常です。ともかくこれが俗に「釣った魚に餌はやらない」という男性意識の舞台裏なのです。

 

〈男性は一人の女性への愛を、生涯保つことができるか〉

 若い女性にとっての最大の不安は、その男性が自分への愛を生涯保ってくれるだろうかということではないでしょうか。自分より美しく魅力的な女性が現れたらこの愛はどうなるだろうか。若い時は、若いということだけで相手を引きつけることができるが、三十代、四十代となった時、若い女性に心を奪われたりしないだろうかというような不安です。

 これはお互いに言えることですが、姿かたちや財産があるからというような条件があるがゆえの好ましいという思いは、その条件がなくなれば好ましくないというように変わってしまうわけであり、それは愛でも何でもないということになります。

 一般約に男性が女性を好ましいと思うのは、ほとんどがその姿かたちや女性であるという点であり、「この女性を大切にしてあげなければいけない」「この人を幸福にしてあげたい」と思うのは、付き合ってからかなり後になってからではないでしょうか。そもそも女性への愛情を真剣に考える男性は、一割にも達しないのかも知れません。

 よく浮気は男の甲斐性等と言われるように、男性は多情多感な存在であり、恋人と歩いていても、前から女性が歩いてくると、きれいな人だなと見とれてしまうようなところがあります。魅力ある人に心引かれること自体悪いことではありませんが、相手の心を自分に引きつけたい、男と女としての付き合いをしたいという思いが生じてくる危険性はないとは言えません。

 さらに自分は家庭という安定した場を持ちながら、あえて若い女性との不倫や危険性を密かに楽しみたいというエゴを、男性は持っているということを女性はよくよく知っておく必要があります。

 女性への思いが、自分の好みからくる感情や性欲だったら、その思いは愛ではなく感情であり、一時的なものにしかすぎません。しかし、相手への幸福を願う誠意と真心であるなら、その思いは生涯保つことができるはずです。それこそが本物の愛と呼べるものではないでしようか。

 

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